はとにまめでっぽー

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エッセイ『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたこと』感想

久々に本を読んだので、感想を書いていきます。

煙が目にしみる : 火葬場が教えてくれたこと | ケイトリン・ドーティ, 池田真紀子 |本 | 通販 | Amazon

読む前~読み始めの感想

まずこの本で目についたのは表紙。

赤色が印象的な、クラシックなデザイン。

かっけぇ…。

 

そして『煙が目にしみる』という、どこかハードボイルドさを感じさせる簡潔なタイトル。

かっけぇ…。

 

そして副題。

火葬場が舞台のエッセイ!?

読むしかない!!!!

 

こうして、私はこの本を手に取りました。

(この記事を書く途中で知りましたが、引用元は有名な歌のタイトルのようですね)

 

さて、今作の舞台である火葬場ですが、皆さんは訪れたことはありますでしょうか?

私はここ1年間で、愛兎と祖父の合計2名の葬儀の際、火葬場を訪れています。

特に、愛兎の葬儀は自分で手配を行ったのもあり、今でも鮮明に覚えています。

いくら心の準備をしてきたつもりでも、やはり愛する者との別れというのは動揺してしまうもので、私は今でも時折「当時の自分はちゃんと彼らを見送れたのだろうか」「私は彼らと最後に誠実に向き合えただろうか」と自問自答することがあります。

 

さて、今作の主人公にしてこの本の著書、ケイトリンはどうでしょうか。

彼女は治安の悪そうな地域に住み、露出狂にも動じないタフさを持つ、死に対して興味津々なサブカルガールです。

ちょっとギザな言い回しが多いし、火葬された頭蓋骨を壊すし(カリフォルニア州では火葬後の遺骨は最終的にパウダーにして遺族に返されるらしいので、途中で骨を壊しても大した問題にはならないのですが)、一見すると死に真摯に向き合っているようには見えません。

「私が火葬された人の親族ならキレてるかもしれないな…」などと読み初めは思っていました。

 

でも彼女の様子をよく見ると、そうした言動の影にはしっかり遺体に対する戸惑いや狼狽が隠れていることが伺えます。

確かに、自ら望んで火葬会社に就職した以上、小娘みたいに泣き喚くわけにもいかないし、だからと言ってその道何十年のプロと同じように開き直ることもできませんよね。

どうも、ケイトリンはその2つの境地の中間にいて、自分なりに遺体との向き合い方を模索してるようです。


…などと思いながら読み進めていると、ケイトリンの衝撃的な過去が判明します。

彼女は幼少期、ハロウィンの日に他所の女の子が転落死(実際の生死は不明だそうですが)する場面に居合わせたことがあったのです。

幼いケイトリンはそのショックで今で言う強迫性障害を発症し、自分や愛する家族の死に対して異様に怯えながら少女時代を過ごしました。

ケイトリンが死に関心を抱くのは、死に対する不安や恐怖の正体を見極めるためだったのです。

”死を隠す”現代アメリカの葬儀スタイル

嬉しいことに、本書ではそこそこの頻度で日本の文化が話題にあがります。

何故かというと、日本は遥か昔から火葬文化がある国だからです。

日本だけでなく中国やアフリカなど、歴史が長い国では風習という形で、死と向き合う方法が人々の間に共有されています。

一方、ケイトリンが暮らすアメリカは国としての歴史が浅く、火葬の歴史は更に浅いため、死との向き合い方に対して答えを示してくれる文化がありません。

なので、死をひたすら直視しないようにする、というのが現代アメリカ社会における死との向き合い方になっているそうです。

ケイトリンは様々な年齢・国籍・境遇の人を火葬し、また火葬場スタッフや遺族と交流する中で、こうした現状に疑問を持つようになります。

死を隠す行為の代表例としては、遺体を生きたままのように見せるエンバーミング技術、注文から納骨までインターネットで完結する火葬メニュー、エンターテイメント性のある墓地などが紹介されています。

ケイトリン曰く、どれも表面を取り繕って不安から視線を逸らすこと、そしてお金を稼ぐことに秀でているそうです。

自分はアメリカの文化にはそこまで詳しくないですが、洋ドラ(特にホラー)なんかを見てると、向こうは「常に笑顔で前を向いてないとダメ!」みたいな日本とは別ベクトルの同調圧力があるのかな~なんて思ったりしますね。

ケイトリンの成長譚でもある

それと、この本はアメリカの葬儀事情を知れるだけでなく、1人の若い女性のキャリアの話でもあります。

未経験の業界に入って、何を考えているのかわからないおじさん達にビクビクしながら、必死で仕事を覚えるうちに、段々おじさん達が本当は思慮深くプロ精神を持って仕事に取り組んでる人間だということが見えてくる。

自分の理想と業界の現状のギャップに悩んだりしながら、それでも正しいと思うこと、自分がなすべき事をなす為に、できることを必死でやる。

思わず、前職での自分の体験と重ねながら読んでしまいました(私はケイトリンほど上手くやれてません)。

入ったばかりの職場で先輩が恐く見えるのはどこの国でもあるあるなんですかね…。

思い通りにいかない場面や納得できない状況にあっても、自分にできることをやり抜くケイトリンの姿勢は素晴らしいと思います。

最後に

繰り返しになりますが、この本はケイトリンのエッセイです。

つまり、実際にあった死の数々を目の当たりにした結果、ケイトリンが至った悟りを言語化したものとも言えます。

そんな重みのある内容である本書の内容を、私みたいな若輩者が「ふむふむ、よくわかります」なんて抜かすのは、どう考えても烏滸がましいでしょう。

ケイトリンの考えには、何度も死に立ち会って自分の心で何かを感じたり、人生経験を積まないと理解できないであろう部分が多いです。

ただ、それでも私は、彼女が死との向き合い方について、真摯に、誠実に、考え続けていることは理解できました。

 

多分、私もこれから身近な人の死を何度も体験する中で、ケイトリンに共感したり、異を唱えたりしたくなるでしょう。

例を挙げると、ケイトリンは愛する人が収まった火葬炉のスイッチを押すことが前向きな気持ちに繋がると綴っていますが、私はそれを実行した結果、後悔と悲しみを感じました。

ケイトリンに言わせれば、それは私が現代社会特有の死の隠蔽の影響下にあり、また私自身もその片棒を担いでいることになるのでしょう。

火葬炉のスイッチを押す時の悲しみも、死の受容プロセスの一環として、逃げずに受け止めるべきものである、というのが彼女の主張だと思います。

それが正しいことなのかは、人生経験の乏しい今の私に判断することはできません。

本書の中でも、ケイトリンの他に、自分なりの死との向き合い方を示したアメリカの先人たちが何人か紹介されていますが、皆主張は様々です。

でも、そうした主張への賛否を考えることが、死に対して真摯に向き合う第一歩になると思うのです。

もしこの本がそのきっかけになったのであれば、ケイトリンが我々に訴えようとしたメッセージは、充分伝わったと言えるのではないでしょうか。

 

以上、『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたこと』の感想でした。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

映画『君たちはどう生きるか』感想

こんにちは。

今、色んな意味で話題の映画『君たちはどう生きるか』を観に行ってきたので、感想を語ろうと思います。

私はジブリや今作の熱心なファンではありませんので、万が一あなたが誤った考察や事実と異なる表記を発見した時は「わかってねぇなこいつ」と軽く流してもらえれば幸いです。

前もって聞いてた評判

私より先にこの映画を観てきた家族が「すごくいい、意味不明だがそれでもいい」などと、メチャクチャな感想を言っていたので、つい興味を惹かれてしまいました。

先程この映画のことを「色んな意味で話題」と説明しましたが、公開まで一切宣伝を行わないかったこと、何より観客のレビューが⭐︎1か⭐︎5の2極化していることが特に注目を浴びているポイントかと思います。

ざっくり観た感想

というわけで実際に観に行ってみましたが、私の中での本作への評価を⭐︎5つで表現するなら、⭐︎2くらいかなぁ〜という感じでした。

評価が低めな理由は、大きく分けて以下2点です。

①オリジナル作品のタイトルを、バズった別作品から取るな
②この映画で1番表現したかったことがどれかわからない

①オリジナル作品のタイトルを、バズった別作品から取るな

まず、私が勘違いしていた点として、大バズした書籍『君たちはどう生きるか』のアニメ化作品ではありません。

この映画は宮崎駿監督のオリジナル作品です。

コペルくんも出てきませんし、内容もめちゃくちゃファンタジーです。

どうして宮崎駿監督は全くる異なる内容の他作品のタイトルを、この映画のタイトルとして引用したのでしょう?

私は、この作品が宮崎駿監督が書籍『君たちはどう生きるか』を読んで、感じたことを自分なりに表現したものだからではないか思っています。

書籍『君たちはどう生きるか』については、読み手に生き方について問いかけ、考えさせる姿勢が印象的な作品です。

その辺に売ってるビジネス本のように、「こうすれば成功する」「絶対に善い人になれる」というメゾットを記した本ではありません。

宮崎駿監督はこの作品を読んで、自分にとって生きるとはどういうことか考え、その果てに出た結論を、監督が1番得意とする映像作品として著したくなったのではないでしょうか。

じゃあ宮崎駿監督にとって生きるって何でしょう?

私は悪意を孕む世界の一部として、悪意と向き合い、人とぶつかり傷つき和解しながら前に進むことではないかと思います。

悪意ってなんぞや

本作のストーリーを振り返ってみましょう。

今作の主人公・眞人は火事で母親を失い、未だにその死から立ち直れていません。

しかし父親は母親の妹である夏子叔母さんと再婚し、さっさと子供まで作っています。

その義母も、眞人に初めて会うや否や、母親ヅラで馴れ馴れしく話しかけて来ます。

母の実家のお屋敷にいる使用人たちは、老人のくせに子供のような耳障りな声で喋り、勝手に鞄を開けて土産を漁るなど、下品ともとれる行動をします。

 

眞人を取り囲む人々は、眞人の孤独や傷を理解してはくれません。

しかし、眞人が危険な目にあった時、彼らは全員自分のやり方で眞人を守るべく懸命に動いていました。

皆、気難しい眞人をなんとか元気付けて、寄り添いたくて、自分にできる精一杯をやっているのです。

 

眞人がそれを自覚する最大のきっかけになったのは、やはり継母である夏子叔母さんの言葉でしょう。

ある日突然行方不明になってしまった夏子叔母さん。

眞人は夏子叔母さんは父の大事な人だからと、半ば渋々とした気持ちで彼女を探しに行きます。

長い冒険を経て、ついに夏子叔母さんを見つけた眞人。

塔の中の世界で、石に守られながら赤ちゃんを産もうと産屋に横たわる彼女に、眞人は「夏子叔母さん、一緒に帰ろう」と呼びかけます。

しかし、そんな眞人を見た夏子叔母さんは、普段穏やかな態度とは打って変わって、興奮した様子で叫びます。

「あんたなんか大っ嫌い!」

…そう、新しい親子関係に戸惑っていたのは眞人だけではありません。

夏子叔母さんも、連れ子である眞人との向き合い方について、ずっと葛藤していたのでした。

どんな場面でも決して目線を合わせず、最低限の言葉しか交わそうとしない眞人の態度からは、自分が彼に拒絶されているという事実が嫌というほど伝わって来ます。

普通なら自分を嫌っている人となんて仲良くしたくありませんよね。

いっそ眞人を無視したり、お互い正直に憎み合ったりする方が、楽かもしれません。

でも夏子叔母さんはそうしませんでした。

自分の中にある「悪意」を乗り越えて、大人として、母親として、夏子叔母さんはめげずに眞人に歩み寄ろうとしていたのです。

お腹にいる眞人の弟の話をしたり、眞人の母の話をしたのも、眞人に家族と認めてほしかったからだと思います。

しかしそんな努力も虚しく、眞人は決して夏子叔母さんの存在を認めません。

そんな現実が辛くなって、夏子叔母さんは自分を傷つける者がいない、塔の中に逃げ込んだのでしょう。

 

夏子叔母さんが自分と同じ苦しみを抱えていたこと、自分の苦しみは彼女の優しさに甘えた独りよがりだったことに気づいた眞人。

彼女に向かって手を差し伸べ、本心からこう言いました。

「母さん、一緒に帰ろう」

こうした出来事を経て、眞人は思い通りにならない現実を受け入れ、傷つけ合うことがあっても、今自分を大切にしてくれる人たちと生きていくことを決め、塔の中から元の世界に帰りました。

悪意を拒んだ大叔父さん

一方、眞人の母親の大叔父さんは、お屋敷の庭にある塔の中に不思議な世界を作り、その中に閉じこもっていました。

大叔父さんが作った世界は、まるで神話かおとぎ童話のようです。

大叔父さんはその世界の「殿様」として、頂点に君臨しています。

ピンチになっても、大叔父さんをはじめとした眞人の一族は、あの世界ではスーパーパワーを使えます。

悪者であるペリカンやインコが現れた時も、本気を出せばスーパーパワーでなんとかできるのです。

ただし、スーパーパワーを喰らった方は苦しんで死にますが…。

 

こう書くと、塔の中の世界は大叔父さんや眞人にとっては、現実世界より居心地の良い場所だと思いませんか?

 

眞人と大叔父さんは似た人物ながら、対照的に描かれていると思います。

2人とも、賢く、思慮深く、繊細。

しかし、眞人は悪意や傷つくことを受け入れて現実で生き続けることを選んだ一方で、悪意を避けて綺麗な世界に篭った大叔父さんは、最後には自分が持ち込んだインコに自分が作った世界ごと滅ぼされてしまいました。

この2人の対比を見ていると、宮崎駿監督が良しとした生き方は、やっぱり眞人の方なんじゃないかなーと私は思います。

私はどっちかというと大叔父さんタイプなので、そんな生き方してると滅びるとか言われるとちょっとムッとしちゃいますが。

おまけ:眞人の自傷の理由は?

眞人は映画のラストで、自ら石を頭に打ち付けてできた傷跡のことを「悪意によるもの」と言っていました。

つまり眞人は何かしら自分の利益のために、あの傷を負ったということです。

何がしたかったのか、作中で明確な描写はなかったと思いますが、恐らく眞人は仮病で構ってもらおうとするようなメンヘラタイプではないので、自分もしくは現状が嫌になって自傷したのかな?と私は思っています。

生を諦めることをエゴ(悪意)と解釈していいならですけどね…。

②この映画で1番表現したかったことがどれかわからない

先述の考えが正しければ、多分今作のテーマは「生き方」なのでしょう。

ただ、いかんせん塔の中の世界観が独特すぎて、もとより奥深い今作のテーマを、更に理解しづらくするノイズになってしまっている印象でした。

同じくジブリの『千と千尋の神隠し』もかなり不思議な世界が舞台ですが、あちらは世界観の描写と千の成長がしっかりリンクしており、ノイズになるどころか魅力になっていた記憶があります。

私の家族はこの辺をスルーして、映像表現や世界観を楽しめたようですが、私は理屈っぽいのでその辺が気になってしまいました。

墓の主とか、意思を持つ石とか、その辺の専門用語や解説に気を取られて、登場人物たちの心の変化に集中できないんですよね。

「生き方」なんてぶっちゃけ説教くさいテーマの映画をやるなら、ちゃんとどの要素に情報量を割くか考えたほうがいいんじゃないでしょうか。

まとめ

というわけで、長くなりましたが、映画『君たちはどう生きるか』の感想でした。

私にはちょっと合わなかったですが、映像表現は素晴らしいし、刺さる人には刺さる作品のようなので、気になるなら一度見に行ってはいかがでしょうか?

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

考察:お仕事モンスターは何故生まれるのか

仕事について色々思うことがあるので書く。

 

単刀直入に言うと

「仕事に人生捧げる人多すぎ!」

「しかもそれを押し付けてくる人がうざい!」

という話。

 

いきなり自分語りして申し訳ないが、私は自分の人生を4Dのシミュレーションゲームみたいなもんだと思って生きている。

早く自分に合った攻略方を見つけて、なるべく楽しんで死にたい。

ちゅーわけで、仕事も人生を充実させるための資金を得る手段としてやっている。

成長は特にしなくていいし、親しい人はできたらラッキーだ。

 

でもそんなスタンスに疑問を持ち、時に否定してくる奴が定期的に現れる。

ちな、私は冒頭に語った思想を他人に押し付けたことはない。

だのに、こいつらは「そんなんじゃダメだよ君ィ」だのと宣い、したり顔で私に以下のような行動を強いてくる!

 

仕事には全力で取り組むべし!

職場の人間と親しくなるのは社会人の義務!

常にPDCAを回すこと!

現状維持なんてもってのほか!

 

えぇ…、何言ってんの…!?

私もお前も、ボーナスなし退職金なしみなし残業ありの安月給でこき使われてるのに…?

何故わざわざ苦役を増やすようなことを…?

 

しかし近所の本屋を見れば、ビジネス書コーナーには仕事ができる人間になれる方法を綴った自己啓発本がごまんと並んでいる。

しかもこの本たち、見る度に全然違うものに入れ替わっている。

そんだけすごいペースで新しい本が出続けているのだ。

 

不思議だ…。

 

売る側の気持ちはわかるよ!

自分が普段やってることを文字に起こすだけで金のなる木ができるなんて、やらないわけがない。

 

でも買う方は…?

 

だって冷静に考えてみてほしい。

外資系はともかく、日経企業なら正社員の権利が強いから、普通に勤務してたらクビの心配ってそんなにないんじゃ?

そもそもサラリーマンという職業は、社長のやりたいこと手伝う代わりにお金を貰うというシンプルな契約に過ぎない。

運が悪ければどんな会社もあっさり倒産するし、仮にそうならなくても60歳くらいで去らなきゃいけない場所なわけである。

 

そうなった時、仕事に全部捧げちゃってたら、仕事に最適化した自分と、変に高くなったプライドしか残らなくね?

家族や友達に結論ファーストで喋って意味あるか?

 

…と、ここまでボロクソに書いていてふと思った。

でも仕事に従順であれば、定年までに目指すべきゴールと、そこまでのルートを決めるっていう、本来はちゃめちゃに疲れる作業をおおよそ40年間、会社がやってくれるのか。

そう考えると、仕事に人生を捧げるというのも、れっきとした人生の攻略法の1つに思えてきた。

この場合、定年後の人生にもちゃんと目を向ける必要があるけど。

 

私になんやかんや言ってくる人たちは、この攻略法を選んだことや、定年後の人生に目を向ける自信が持てないのかな。

だから「私の選択は正しいんだ!」って大きな声で言わないと、心が保たないのかもしれない。

普通に「私は仕事をがむしゃらにやるのが楽だからそうしてるんだ〜」って堂々としてればいいのに。

堂々としてられねぇんだったら、いっぺん生き方見直してみようぜ!

 

…と、仕事にのめり込む人たちに対して思うことがあったので書き散らしました。

気が済んだのでこれで終わりにします。

ありがとうございました。

ゲーム『The Stillness of the Wind』感想&攻略メモ

ゲーム『The Stillness of the Wind』

store.steampowered.com

何年か前にTwitterで見てずっと気になってた作品でした。

久々に雰囲気たっぷりなゲームをやりたくなり、改めて作品名を検索したところ、なんとsteamで200円台で売ってたので思わず購入!

ちなみにスマホ版も出ていて、そっちもかなりお手頃価格らしいです。

クリアしたので感想を書いていこうと思います。

記事後半にはネタバレがありますが、ちゃんと手前でアラート付けるのでご安心ください。

攻略メモ

このゲームの難点の1つに「説明不足」という点があります。

農園では色んなアクションができるんですが、ゲーム中にそれらに関する説明は一切ないので私は初見プレイ時は苦労しました。

日本語でこのゲームに関して記載してるブログはまだあまり見かけないので、自分のわかる範囲でアイテムの使い方等をまとめておきます。

アイテムの使い方

  • バスケット:食材集め
    • バスケットを手に持った状態で
      ニワトリ小屋にある卵やキノコを調べてから家に入ると
      食材を収集できる
    • バスケットにアイテムを入れても家の中まで持って帰らないと
      翌日バスケット中身が消滅するので注意!
  • バケツ:搾乳
    • バケツを手に持った状態でヤギを調べて搾乳し、
      チーズ小屋の鍋に持っていくことで煮込める
    • 詳しくはチーズ作りの項目を参照
  • ショットガン:銃撃
    • ショットガンを手に持ってから画面をクリックすると構える
      構えるのをやめたい場合は右クリック
      撃ちたい対象をクリックで撃つ(ここで自分をクリックすると…)
    • オオカミの近くに移動してから構えるとオオカミにカーソルが表示される
      多分その状態で撃たないと当たらない
  • クワ:土を耕す
    • 手に持った状態で畑をクリックすると土を耕す
    • 耕した土をクリックすると持ってる種を植えられる
  • 水差し:水汲み& 水やり
    • 柵の外にある井戸の横っちょにある
    • 手に持った状態で井戸をクリックすると水を汲める
    • 水が入った水差しを手に持った状態で
      植物が植えられている場所をクリックするとそこに水をやる
    • 何回か水をやると水差しは空になる

その他操作方法やメモ

  • チーズ作り
    1. ミルクの入ったバケツを手に持った状態で
      チーズ小屋の鍋を調べるとミルクを鍋に注ぐ
    2. チーズ作りボタンが表示されたらクリックして
      マウスで円を描いて攪拌する
    3. 攪拌が終わると鍋が薪の上に鍋が移動するのでクリックして煮込む
    4. 時間経過で火が消えるので鍋をクリック
      チーズ作りボタンが表示されたらクリックしてチーズを作る
      (この段階は結構体力消費するので朝にやるのがオススメ)
  • 物々交換
    • 商人のおじさんに話しかけると物々交換ができる
    • チーズは高価かつゲーム後半で全部腐るので、積極的に交換に使う
    • 卵5個=干し草1個らしい
  • ヤギ
    • ヤギ買ってる場合は物々交換で干し草を買うこと
    • 干し草が尽きるとヤギが餓死する
    • ヤギが2頭以上いると子ヤギが生まれる
      • 子ヤギがいる間は大人ヤギから搾乳できない
      • 子ヤギは数日で大人ヤギになる
      • 当然食い扶持も増えるので注意
  • ニワトリ
    • 毎日卵を産む
    • 餌はいらない
  • 食事
    • 基本的には1日1回食材1個食べるだけでも大丈夫
    • おばあちゃんは空腹になるとばててしまう
  • 手紙
    • 宛名をクリックすると開いて内容を読める
    • 右下にプレゼントマークがある場合、
      クリックするとプレゼントを獲得できる
    • このゲームの世界観を知るヒントになる記事や詩が読める
    • 物々交換で手に入るものもある

以下、プレイ感想(ネタバレあり)

1週目

色々周囲を調べてチーズを作るべきだということはなんとなく理解。
…が、どうやってもヤギのチーズが絞れない!!
チーズの作り方が分からない以上、ヤギはただ干し草を食うだけのごくつぶしでしかなかったため、さっさと売却しました。

ヤギを手放した私は経営の見直しを決意。
「これからはコスパ重視!維持費のかからないニワトリで盛り返すぞ!」
…ですが卵も回収後に家の中まで持っていかないと翌日には消滅してしまうに気付けず、どんどんジリ貧化。

数日後、唯一の財産だったニワトリたちもイベントにより全羽失踪。
畑だけがライフラインになったものの手持ちのアイテムが無いので種も買えず、後半は飲まず食わずで起きたらすぐ寝るだけの日が続いていました。

最終的に大雪の日、バケツやバスケットが全部雪に埋まっていたので、唯一庭に残ったショットガンを拾って、なんとなくおばあちゃん自身を選択たところ、銃撃音とともに画面が暗転しスタッフロールが流れました。

…なんだか貧困の中で生きる苦しみを体現したようなゲームプレイになってしまいました。

2週目

「こんどはヤギのチーズを絶対作るぞ!」と決意を胸に再スタート。
色々アイテムの使い方を試行錯誤した結果、バケツを持ってヤギを調べるとミルクが取れることを発見したため、1週目の分を取り戻すかのようにチーズを作りまくりました。
ただ仕上げの工程は夜にやるとおばあちゃんへの負担がでかいため、搾乳&煮込んで寝る→翌日に仕上げという流れで毎日作業していましたね。

チーズを元手にニワトリを増やしたことで毎日の食料も確保。
1週目と比べて農園はかなり豊かになりました。

また2週目では色々発見がありました。

  • 物語が進むほど1日が短くなる
  • ゲーム後半になるとイベントで強制的に
    ニワトリ→チーズ在庫→畑→ヤギの順番で財産が全滅する
    畑が全滅したとこくらいで薪がなくなって食事もとれなくなる
    (畑で取った野菜があるだろ!生で齧れ!!)

食料の貯蔵があったため1週目よりゲーム後半の籠城パートに余裕がありました。

そしてまたしても大雪の日、今度はショットガンには触らず、とりあえずチーズ小屋に入ろうとしたところ、おばあちゃんは力尽きたように倒れます。

そこからカメラが引いたかと思うとシーンが切り替わり、大きな木の下でヤギやニワトリたちと男性(商人かな?)に囲まれたおばあちゃんが農園で佇む様子が映し出され、スタッフロールに移りました。

死は避けられませんでしたが、1週目より救いのあるエンディングで良かったです。
きっと最後のシーンはおばあちゃんが死の間際に見た、幸せだった頃の幻なんでしょうね。

感想まとめ

砂漠のど真ん中で1人生きるおばあちゃんの晩年を描いた、雰囲気重視のゲームでした。

どうしようもない大きな変化や自然災害に吞まれ平穏を失い、老い故に希望が少しずつ消えていくのを見ているしかない無力感がよく表現されていたと思います。

それを体感したうえで、おばあちゃんが自身の最期にどう向き合うのかプレイヤーが選ぶことができるという点が、ゲームという媒体を選んだ今作の面白さなのかと思います。

世界観もちょっと不思議な感じ。知り合いのヴォッタが市長に就き、大きなお祭りを開催した後に、街の人が次々失踪しているみたいですね。

手紙なんかを読んだうえでのざっくりした考察ですが、市長は何か大きな目的の為にお祭りを利用してどこか別の世界への繋がりを開き、人々はその影響で幸せな夢に憑かれながら死んでいったのかな?と思いました。多分市長も吞み込まれてしまったっぽいですね。元々この世界には不思議な病や力が存在するみたいなので、そういった力に町が滅ぼされてしまった感じでしょうか。

まだまだ隠し要素もありそうなので、この記事を読んで気になった方がいたらよければプレイしてみてください。

ありがとうございました。

芝園団地の本を読んで、地元に対するもやもやを自覚した話

「芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起こるか」という本を読んだ。

この本では中国人と日本人の共生のジレンマについて語っているけど、その問題を突き詰めると多数派の不安という、昨今の様々な問題の根っこになる部分につながっていることがわかる。

日本人住人の立場を解説する章を読んだ時、私はハッとさせられた。自分の経験と重なるところがあったのでそれを踏まえて話したい。よって今回は本の紹介というより自分語りがメインになってしまうことをお許しいただきたい。

(この地味なブログを見る人は世の中にほぼいないと思うけど、万が一荒れるような場合には記事を消すと思う。平和にやっていきたいから)

 

まず、私はアジア圏の外国人に対してあまり抵抗がない方だと思う。私が身を置いているITの領域は本書でも述べている通り、アジア圏の外国人が多数活躍する分野なので、大学や会社では様々な国籍の人と一緒に活動した。

最初は得体が知れなくて身構えていた部分もあったけど、蓋を開けてみたら思っていた以上に普通の人達で、話が通じなくて困るなんて場面は特になかった。彼らの手を借りないと今の快適な日常は成り立たないことも実感した。

だから私はこの本を読み始めた時「また頭の固い老人が若い世代の邪魔をしてるな」と正直どこか蔑んだ気持ちを抱いた。

 

そんな私は現在一人暮らしをしている。物心ついた時から住んでいる地元にうんざりしてしまったのがきっかけだ。

私の地元はかつて閑静な住宅街だったが、ここ10年間できらびやかなリゾート地を目指してどんどん変貌していた。私はリゾート地のイメージに沿うように変わっていく故郷と、そんな故郷に好き好んで引っ越してくる人々が嫌になり、貯金が十分な額になったタイミングで実家を出た。

本書を読んで私は、自分が戦っていたものの正体は『新参者』ではなく、「愛する静かな故郷がリゾート地という幻想に潰されてしまうのではないか」という不安だったのだと初めて気がついた。

振り返ると、私が本格的に地元に不満を抱くようになったのは、幼い頃から親しんできた地域特有の施設やイベントのいくつかがなくなってしまってからだった。

こうした今はなき施設やイベントが私にとっては地域への帰属意識を感じさせるもので、それがなくなってからも新しい住人と共通で楽しめる何かを見つけられなかったから、私は変わりゆく故郷で孤立したんだと思う。

リゾート地としての地元にやって来た人々を受け入れられない私にとって、「頭の固い老人」は決して他人事ではなかったのだった。

 

…うまくオチや結論をつけられる気がしないので、グダグダだがこの辺で終わりたい。

本書は書き手が終始中立的な目線で芝園団地の現状を綴っているので、変に力むことなく自分が感じるままに読むことができる。

色んなものの境界があいまいになってる今、こういう問題は芝園団地に限らずいろんな場所で起きている。地方への移住者受け入れで「都会風を吹かすな」みたいなやつが話題になったし、多様性の問題とかにも通じるものがある。

本書を読んでも私は新しくなった故郷に歩み寄ることがまだまだできそうにない。

だが、せめて自分が環境を整える立場にある時は、考え方の異なる2つの勢力が互いに良い印象を持てるような取り組みをしたいと思った。

自分の驕りや故郷に対する想いを再確認するきっかけになった良い本だったと思う。

エッセイ?『女ひとり、家を建てる』感想

またしても面白い本と出合えたのでその感想をば。

編集者のツレヅレハナコさんが、仕事で建築家さんと出会ったのをきっかけに、100%自分のための家を建てるまでの記録を数々の写真と一緒にまとめた本です。

女ひとり、家を建てる 単行本 – 2020/10/23
ツレヅレハナコ (著)

突然の自分語りで恐縮ですが、私は「家」というものが好きです。

先日は『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』を買って読んだばかりだし、以前買った『あるノルウェーの大工の日記』というエッセイも読んでいて大変面白かった一冊として記憶に残っています。多分、依頼主や大工さんなど沢山の人のこだわりで出来た「家」という1つの作品が、その後誰かの人生における大切な舞台になっていく…という部分に物語を感じるのだと思います。

てっきりこの本はツレヅレハナコさんご本人が書かれたエッセイなのかと思っていたのですが、実際に読んでみると文章はインタビュアー的な第三者の目線で書かれてます。個人的には、限られた予算の中でこだわりを取捨選択する葛藤であるとか、理想の家が実際に形になっていくのを見た時の感動であるとか、実際に暮らしてみてどんな気持ちになったのかとか、家を建てる際に感じたことをご本人の言葉で聞いてみたかったので、この点は少々期待外れでした。

ただやっぱり家を建てるにあたって色々運命的な出会いがあったり、依頼主と施工者(この呼び方でいいのかしら)が一緒に理想の家づくりに向けて意見を交わす様子であったり、建築のプロの方々がそれを実現するために各々の叡智を集めて理想だったものを徐々に現実にしていく過程は、読んでいて心躍るものがありますね。自分も今の家(賃貸ですが)を最初に見た時、一目で「あ、ここだ!」と思ったので、やはり住処を探すにあたってはご縁というのは結構あるのかもな~などと考えながら読みました。

また本書の随所に差し込まれる家の写真は、どれも柔らかい光が家の一部として映っているものばかりだったので、これのおかげでハナコさんが家に対して抱く気持ちをなんとなく私にも感じ取ることができました。個人的にはどの写真も私の好みにドンピシャで、「いいなぁ~私もこんな家で暮らしてぇ~」と思わずにはいられません。ハナコさん自身が書いたと思われる冒頭のページの「みんな、ひとりで家を建てようぜ!」という呼び掛けにも、「はーい!」と手を上げたくなるほどです。

ただ冷静に考えると、ハナコさんには元々2人分の家賃を払ったうえ、世界各国に度々旅行に行ったり、自分の趣味である料理の道具をたくさん買い集められるくらいの財力があります。当然それが数々の努力や苦労の上に成り立っているのは承知ですが、100均の雑貨ですら買うのを躊躇うほどお金がない今の自分としては、自分のこだわりが詰まった理想の家を建てて住むという話は遠い夢のように感じられました。

ニュースなんかを見てると今の若い世代はお金がないないと言われますが、正直自分自身はそれが本当なのかまだよくわからないです。今はカフェに入るのも月1回の贅沢としている私ですが、一生懸命働いて歳を取ればいずれは自分の家を買えるようになるのでしょうか? 正直なところ全く想像がつきませんが、でももしそんな未来に辿り着けたらすごく素敵です。そのためにも、今はペーペーのザコ社員なりにできることを頑張らなくちゃ!と思いました。

ぺら~い感想でしたが、こんなところで終わりたいと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました。

小説『天使のいる廃墟』 感想

先日行った図書館にて借りた本が面白かったので感想を書きます。

フリオ・ホセ・オルドバス著のスペイン小説『天使のいる廃墟』です。

天使のいる廃墟 | フリオ・ホセ・オルドバス, 白川 貴子 |本 | 通販 | Amazon

読む前/読んだ後の印象

タイトルと背表紙の美しさに惹かれて借りてみましたが、正直あまり期待はしていませんでした。

今まで読んできたこういう退廃的な雰囲気の小説は、雰囲気を楽しむのがメインのものが多かったのですが、個人的にはそういったタイプの小説はあまり好みではないからです。

ただ実際に読んでみると、そんな予想は良い意味で外れました。

この小説は全編で死を扱っているにも関わらず、終始静かで穏やかな空気で満ちています。

村を訪れる人たちの口からぽつぽつと語られる人生はほろ苦くもどこか美しく、一方で多少の不穏さや狂気が滲むところもあったりと、他の作品にはない独特の魅力にはまって一気読みしてしまいました。

ざっくりあらすじ

あるところにパライソ・アルトという捨てられた村がありました。

 

かつては平和な村だったのですが、どういうわけかある日突然村人全員が逃げ出してしまっため、今やすっかり荒廃し、訪れるのは自殺志願者だけという状況です。

 

主人公も自殺のためにパライソ・アルトにやってきた1人でしたが、村に着いた彼は『天使としてここで自殺志願者たちを手伝うのが自分の使命だ』と思い立ちます。

 

そして1件の空き家に住み着き、村に訪れる人々の最期を見届け、彼らの埋葬や遺品の片付けなどを行うようになりました。

細かい感想

私は冒頭で主人公が天使の務めに目覚めた描写を呼んだ瞬間、「こんなやべぇやつが主人公なのかよ」と思いました。

穏やかな人ではあるのですが、時折常人にはないような思考を抱いていたりするので、全編通してずっとこの主人公のことが怖かったです。

学生時代に聞いた都市伝説で『富士の樹海には自殺志願者を狙う殺人愛好者が潜んでいて、見つかると殺されてしまう』なんて話がありましたが、主人公はほぼこの都市伝説を地でいっていますね。その動機が善意であるというのもなかなか理解不能です。

一方で、そんな彼の狂気がスパイスとなってこの物語を退屈じゃなくしています。

プロローグでは主人公がアルト・パライソに到着してからのことや村での暮らしぶりが語られ、本編では彼がこれまで出会ってきた様々な来訪者たちのエピソードを振り返っていきます。

アルト・パライソに来る人々は皆自殺志願者とは思えないほど穏やかです。

突然現れて初対面のくせに馴れ馴れしく話しかけてくる主人公にもきつく当たったりしません。

私なら静かに一生を終えたいと思ってたどり着いた場所で知らん奴にペチャクチャ話しかけられたらキレると思うのですが、生を手放す覚悟を決めた人たちには些細なことなのかもしれません。怒るっていうのがそもそも生きるための反応だからかな…。

彼らは主人公に対して、ここにたどり着くまでの人生を語ったり語らなかったりします。

ここで私にとってすごく新鮮だったのが、自殺志願者たちがみな自分の生き方を誇り、自分の人生でできることは全てやり切ってしまったから死にに来たのかのような、そんなさっぱりした気持ちを感じられたことです。

話を聞くと、彼らがみな強い信念を持って生きてきたこと、それ故に孤独だったことが伺えます。思考を放棄して周りに合わせれば集団の中で安心して年を取ることもできたでしょうが、彼らにとってはそれは死ぬより苦痛だったのでしょう。

それくらい真剣に生きてきたからこそ、その目的が果たされたか失われた時には、もうここで死んでも良いと思えてしまうのかもしれないですね。

登場人物のことばかり話してきましたが、魅力的な舞台設定と描写も素敵です。読んでいる間は本当にアルト・パライソの枯れ草が風に揺れる音が聞こえるかのようでした。ただ不気味な廃墟なんじゃなくて、どこか謎めきつつも元々暮らしていた住人の生活や温もりの痕跡がかすかに感じられる場所なのが良かったですね。だからこそ穏やかな自殺の舞台にふさわしいのかも。

まとめ

個人的には、この作品の主題は『自分を貫いて生きるためにあがくことの美しさ、尊さ』なんじゃないかと思います。

人間は不思議な生き物です。社会の一部として生まれてきたのに確固たる自我を持っていて、そのために孤独にもがき苦しんで時に破滅してしまうことがあります。

どう考えても合理的な選択ではないですし、実際「本当にこれで良かったのか」と自問自答しながら孤独に耐えている人がたくさん世の中にはいると思います。

本書はそんな人たちにある種のエールを送る物語なんじゃないでしょうか。少なくとも私は、アルト・パライソに来た人々の話を聞いて「自分らしくいるって大変だけどやっぱりいいことだな」と感じました。そんなポジティブなメッセージを自殺という一見正反対の意味を持つ行為を通してちゃんと描き切っているところもすごい。

疲れたので、この辺で『天使のいる廃墟』の感想は以上としたいと思います。
読んでくださった方、もしいたらありがとうございました。