はとにまめでっぽー

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雑記:自分の生きづらさについて考える

「生きづらさ」。ここ数年でよく聞くようになった単語である。

 

私はこの「生きづらい」というものを子供の頃から多々感じている。

 

こういうことを周りの人に言うと「あなたは大丈夫だよ」「あなたは普通の人間だよ」と、大抵は励ましの言葉をかけられる。彼らは皆信頼に足る人たちで、私に悪意を持っている人は一人もいない。私が自身を「世間一般の基準に達せない人間だ」と卑下しているのを、優しさから否定してくれているのである。

 

しかし、そう返されると私としては非常に困る。私が普通の人間の場合、日々の中で感じる苦痛・焦り・困惑は全て、他の一般的な人々も同じように感じていることになり、私一人だけがそれに耐えられないと主張するのは「甘え」になってしまう。しかし、私には全く甘えているつもりはない。精一杯やってこの有様なのだ。

 

いやいや、そう感じるのは私が自分に対して高すぎる目標を掲げてしまっているからかもしれない。つまりこの苦しみは完全に私の自業自得で、気の持ちようだけで解決できるものであるということだ。私がずっと問題解決の糸口を探してもがき続けて疲弊したのは、私がそうであることを心のどこかで望んでいたからだと。…いやいや、これにはさすがに異議を申し立てても良いのではないか。

 

また、仮に私の発達が人と異なるものだったとしたら、彼らは私の問題の存在自体を認めていないことになる。問題を直視しなければ解決もできないので私が不利益をこうむり続けることになり、「私を支えてくれる優しい人たち」という彼らの立場と矛盾してしまう。

 

私とて別に発達障害のレッテルが欲しいわけではない。話を聞いていると思わずうなずいてしまうところが多いが、全部が全部当てはまるわけではなく、一部は真逆の特徴を持っているところもある。幼い頃のいじめとか、そういう苛烈な体験が思考を歪めてしまって、結果的に発達障害みたいな状態になってしまうこともあるだろう。

 

でも、いくら考えてもしょせん素人なので、困りごとの原因にはさっぱり近づけない。

 

先日、思い切って診察に行ってみたが、ネットで拾えそうなチェックシートをやったのち、はっきりした診断はもらえないまま、ずるずると目的のないカウンセリングを受けさせられたので通院をやめてしまった。

 

発達障害でもなんでもいいので、どうにか私が過去から今まで全力でやっても上手くやれないのか、どうして周りの人は余裕そうに見えるのか、その原因を誰か教えてほしい。切実な願いである。