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エッセイ『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたこと』感想

久々に本を読んだので、感想を書いていきます。

煙が目にしみる : 火葬場が教えてくれたこと | ケイトリン・ドーティ, 池田真紀子 |本 | 通販 | Amazon

読む前~読み始めの感想

まずこの本で目についたのは表紙。

赤色が印象的な、クラシックなデザイン。

かっけぇ…。

 

そして『煙が目にしみる』という、どこかハードボイルドさを感じさせる簡潔なタイトル。

かっけぇ…。

 

そして副題。

火葬場が舞台のエッセイ!?

読むしかない!!!!

 

こうして、私はこの本を手に取りました。

(この記事を書く途中で知りましたが、引用元は有名な歌のタイトルのようですね)

 

さて、今作の舞台である火葬場ですが、皆さんは訪れたことはありますでしょうか?

私はここ1年間で、愛兎と祖父の合計2名の葬儀の際、火葬場を訪れています。

特に、愛兎の葬儀は自分で手配を行ったのもあり、今でも鮮明に覚えています。

いくら心の準備をしてきたつもりでも、やはり愛する者との別れというのは動揺してしまうもので、私は今でも時折「当時の自分はちゃんと彼らを見送れたのだろうか」「私は彼らと最後に誠実に向き合えただろうか」と自問自答することがあります。

 

さて、今作の主人公にしてこの本の著書、ケイトリンはどうでしょうか。

彼女は治安の悪そうな地域に住み、露出狂にも動じないタフさを持つ、死に対して興味津々なサブカルガールです。

ちょっとギザな言い回しが多いし、火葬された頭蓋骨を壊すし(カリフォルニア州では火葬後の遺骨は最終的にパウダーにして遺族に返されるらしいので、途中で骨を壊しても大した問題にはならないのですが)、一見すると死に真摯に向き合っているようには見えません。

「私が火葬された人の親族ならキレてるかもしれないな…」などと読み初めは思っていました。

 

でも彼女の様子をよく見ると、そうした言動の影にはしっかり遺体に対する戸惑いや狼狽が隠れていることが伺えます。

確かに、自ら望んで火葬会社に就職した以上、小娘みたいに泣き喚くわけにもいかないし、だからと言ってその道何十年のプロと同じように開き直ることもできませんよね。

どうも、ケイトリンはその2つの境地の中間にいて、自分なりに遺体との向き合い方を模索してるようです。


…などと思いながら読み進めていると、ケイトリンの衝撃的な過去が判明します。

彼女は幼少期、ハロウィンの日に他所の女の子が転落死(実際の生死は不明だそうですが)する場面に居合わせたことがあったのです。

幼いケイトリンはそのショックで今で言う強迫性障害を発症し、自分や愛する家族の死に対して異様に怯えながら少女時代を過ごしました。

ケイトリンが死に関心を抱くのは、死に対する不安や恐怖の正体を見極めるためだったのです。

”死を隠す”現代アメリカの葬儀スタイル

嬉しいことに、本書ではそこそこの頻度で日本の文化が話題にあがります。

何故かというと、日本は遥か昔から火葬文化がある国だからです。

日本だけでなく中国やアフリカなど、歴史が長い国では風習という形で、死と向き合う方法が人々の間に共有されています。

一方、ケイトリンが暮らすアメリカは国としての歴史が浅く、火葬の歴史は更に浅いため、死との向き合い方に対して答えを示してくれる文化がありません。

なので、死をひたすら直視しないようにする、というのが現代アメリカ社会における死との向き合い方になっているそうです。

ケイトリンは様々な年齢・国籍・境遇の人を火葬し、また火葬場スタッフや遺族と交流する中で、こうした現状に疑問を持つようになります。

死を隠す行為の代表例としては、遺体を生きたままのように見せるエンバーミング技術、注文から納骨までインターネットで完結する火葬メニュー、エンターテイメント性のある墓地などが紹介されています。

ケイトリン曰く、どれも表面を取り繕って不安から視線を逸らすこと、そしてお金を稼ぐことに秀でているそうです。

自分はアメリカの文化にはそこまで詳しくないですが、洋ドラ(特にホラー)なんかを見てると、向こうは「常に笑顔で前を向いてないとダメ!」みたいな日本とは別ベクトルの同調圧力があるのかな~なんて思ったりしますね。

ケイトリンの成長譚でもある

それと、この本はアメリカの葬儀事情を知れるだけでなく、1人の若い女性のキャリアの話でもあります。

未経験の業界に入って、何を考えているのかわからないおじさん達にビクビクしながら、必死で仕事を覚えるうちに、段々おじさん達が本当は思慮深くプロ精神を持って仕事に取り組んでる人間だということが見えてくる。

自分の理想と業界の現状のギャップに悩んだりしながら、それでも正しいと思うこと、自分がなすべき事をなす為に、できることを必死でやる。

思わず、前職での自分の体験と重ねながら読んでしまいました(私はケイトリンほど上手くやれてません)。

入ったばかりの職場で先輩が恐く見えるのはどこの国でもあるあるなんですかね…。

思い通りにいかない場面や納得できない状況にあっても、自分にできることをやり抜くケイトリンの姿勢は素晴らしいと思います。

最後に

繰り返しになりますが、この本はケイトリンのエッセイです。

つまり、実際にあった死の数々を目の当たりにした結果、ケイトリンが至った悟りを言語化したものとも言えます。

そんな重みのある内容である本書の内容を、私みたいな若輩者が「ふむふむ、よくわかります」なんて抜かすのは、どう考えても烏滸がましいでしょう。

ケイトリンの考えには、何度も死に立ち会って自分の心で何かを感じたり、人生経験を積まないと理解できないであろう部分が多いです。

ただ、それでも私は、彼女が死との向き合い方について、真摯に、誠実に、考え続けていることは理解できました。

 

多分、私もこれから身近な人の死を何度も体験する中で、ケイトリンに共感したり、異を唱えたりしたくなるでしょう。

例を挙げると、ケイトリンは愛する人が収まった火葬炉のスイッチを押すことが前向きな気持ちに繋がると綴っていますが、私はそれを実行した結果、後悔と悲しみを感じました。

ケイトリンに言わせれば、それは私が現代社会特有の死の隠蔽の影響下にあり、また私自身もその片棒を担いでいることになるのでしょう。

火葬炉のスイッチを押す時の悲しみも、死の受容プロセスの一環として、逃げずに受け止めるべきものである、というのが彼女の主張だと思います。

それが正しいことなのかは、人生経験の乏しい今の私に判断することはできません。

本書の中でも、ケイトリンの他に、自分なりの死との向き合い方を示したアメリカの先人たちが何人か紹介されていますが、皆主張は様々です。

でも、そうした主張への賛否を考えることが、死に対して真摯に向き合う第一歩になると思うのです。

もしこの本がそのきっかけになったのであれば、ケイトリンが我々に訴えようとしたメッセージは、充分伝わったと言えるのではないでしょうか。

 

以上、『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたこと』の感想でした。
ここまで読んでくださりありがとうございました。