「芝園団地に住んでいます 住民の半分が外国人になったとき何が起こるか」という本を読んだ。
この本では中国人と日本人の共生のジレンマについて語っているけど、その問題を突き詰めると多数派の不安という、昨今の様々な問題の根っこになる部分につながっていることがわかる。
日本人住人の立場を解説する章を読んだ時、私はハッとさせられた。自分の経験と重なるところがあったのでそれを踏まえて話したい。よって今回は本の紹介というより自分語りがメインになってしまうことをお許しいただきたい。
(この地味なブログを見る人は世の中にほぼいないと思うけど、万が一荒れるような場合には記事を消すと思う。平和にやっていきたいから)
まず、私はアジア圏の外国人に対してあまり抵抗がない方だと思う。私が身を置いているITの領域は本書でも述べている通り、アジア圏の外国人が多数活躍する分野なので、大学や会社では様々な国籍の人と一緒に活動した。
最初は得体が知れなくて身構えていた部分もあったけど、蓋を開けてみたら思っていた以上に普通の人達で、話が通じなくて困るなんて場面は特になかった。彼らの手を借りないと今の快適な日常は成り立たないことも実感した。
だから私はこの本を読み始めた時「また頭の固い老人が若い世代の邪魔をしてるな」と正直どこか蔑んだ気持ちを抱いた。
そんな私は現在一人暮らしをしている。物心ついた時から住んでいる地元にうんざりしてしまったのがきっかけだ。
私の地元はかつて閑静な住宅街だったが、ここ10年間できらびやかなリゾート地を目指してどんどん変貌していた。私はリゾート地のイメージに沿うように変わっていく故郷と、そんな故郷に好き好んで引っ越してくる人々が嫌になり、貯金が十分な額になったタイミングで実家を出た。
本書を読んで私は、自分が戦っていたものの正体は『新参者』ではなく、「愛する静かな故郷がリゾート地という幻想に潰されてしまうのではないか」という不安だったのだと初めて気がついた。
振り返ると、私が本格的に地元に不満を抱くようになったのは、幼い頃から親しんできた地域特有の施設やイベントのいくつかがなくなってしまってからだった。
こうした今はなき施設やイベントが私にとっては地域への帰属意識を感じさせるもので、それがなくなってからも新しい住人と共通で楽しめる何かを見つけられなかったから、私は変わりゆく故郷で孤立したんだと思う。
リゾート地としての地元にやって来た人々を受け入れられない私にとって、「頭の固い老人」は決して他人事ではなかったのだった。
…うまくオチや結論をつけられる気がしないので、グダグダだがこの辺で終わりたい。
本書は書き手が終始中立的な目線で芝園団地の現状を綴っているので、変に力むことなく自分が感じるままに読むことができる。
色んなものの境界があいまいになってる今、こういう問題は芝園団地に限らずいろんな場所で起きている。地方への移住者受け入れで「都会風を吹かすな」みたいなやつが話題になったし、多様性の問題とかにも通じるものがある。
本書を読んでも私は新しくなった故郷に歩み寄ることがまだまだできそうにない。
だが、せめて自分が環境を整える立場にある時は、考え方の異なる2つの勢力が互いに良い印象を持てるような取り組みをしたいと思った。
自分の驕りや故郷に対する想いを再確認するきっかけになった良い本だったと思う。